日常日記


2002年10月07日:No.031奥の細道
2002年10月08日:No.032続・奥の細道(日本三大古道)
2002年10月14日:No.033美濃路歩いてきましたっ
2002年11月17日:No.034東海道その後
2002年11月24日:No.035初対面
2002年11月25日:No.036新撰組

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 2002年10月〜12月 

2002年10月7日:No.031奥の細道
 先週の木曜日、仕事で出張に出かけました。場所は、宮城県松島町。そう、日本三景の一つですね。そして、「日本三景」という顔のほかに、松尾芭蕉が立ち寄ったところとして「奥の細道」にも記載されているところです。
 そして松尾芭蕉は、この松島を訪れてべた褒めしています。「松島は日本第一の絶景であって・・云々」と。しかも、その美しさに感激しきってしまい、句を詠むどころではなかったようです。ですから、世に有名な「松島や 嗚呼松島や 松島や」というのは、松尾芭蕉の句ではないのです(笑)
瑞巌寺に続く杉並木。箱根の杉並木に匹敵するほどの立派な杉が植わっていました〜♪ 松島には、海に浮かぶ無数の島々だけではなく、由緒正しい歴史の古いお寺も点在しており、中でも瑞巌寺というお寺がとても有名で、当然芭蕉も立ち寄っています。私はと言えば、観光ではなく仕事で訪れたので、観光をしてる時間などまったくなかったのですが、お昼を食べた後、少しだけ散策をすることができました。瑞巌寺に続く杉並木があるのですが、そこを少し歩きました(笑)それが右の写真です。ちなみに、見ようによっては坂道に見えますが、平坦な道になっています。
 しかし、結局お寺を見学する時間はなかったのですが、この松島がとっても気に入りました。いつか近いうちに必ず訪れるぞーっと心に誓ったのですが、残念ながら今年の紅葉の時期には訪れることは出来なさそうです。ちょうど訪れた時が色づき始めていたので、今月中旬から下旬くらいがピークでしょうか?紅葉の松島・・・想像しただけで胸が高鳴ります(笑)
 しかし、松島だけではなく、これから日本は徐々に衣替えの季節に入ります。街の至る所で赤や黄色の見事な木々の姿を見ることができるのかと思うと、楽しみが一つ増えたような気がしますよね〜。


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2002年10月8日:No.032続・奥の細道(日本三大古道)
 さて、昨日に引き続き松島の話でも。松島が、色々な顔を持つ観光地であることは、昨日話したとおりですが、その中の一つに「日本三景」というのがあります。
 日本三景は、多くの方が周知の通り「京都の天橋立」「広島の安芸の宮島」そして、「宮城の松島」の3つを指すます。実は、今回図らずも松島を訪れたことにより、この日本三景を全て訪れたことになったわけです。
 この日本三大○○というのは、わりとたくさんありまして、その中でも有名なのがこの日本三景ですが、その他にも色々あります。私自身が全て網羅しているのは、3年ほど前に夏休みを利用して訪れた「恐山(青森)」「比叡山(滋賀)」「高野山(和歌山)」の日本三大霊場ぐらいかなぁ。
円通院の入り口。円通院は、伊達2代藩主忠宗の次男光宗の廟所です あと結構有名なのは、日本三大がっかり名所とか。これは、あまりに不名誉なことなので記載はしませんが、札幌のT台はそんなにがっかりしなかったけどなぁ。確かに、周辺の環境がちょっと・・と思ったけど、建物自体はとても良かったし。
 まぁ、そんな日本三大○○は、よくも悪くも知名度をあげるのに一役買っていると思われます。
 そして、話を元に戻しますと、松島は、日本三景の他にもう一つ日本三大○○の中に含まれているんですよね。と言っても、松島だけではなく、松島を含めたエリアになるのですが。それは、「日本三大古道」です。
 日本三大古道は、「奥の細道(東北〜中部)」「中山道(信州〜中部)」「熊野古道」の3つで、どれも名前はメジャーなところです。熊野古道は、ちょっとマイナーな部類に入るかなぁ・・。熊野古道は、和歌山の方に続いている古道なのですが、実は「検索サイト」で「日本三大古道」とキーワードを入力すると、ヒットするのはこの熊野古道ばかりなのです。それだけ、力を入れているのかな〜と。それとも、マイナーなためPRを兼ねているのかもしれないですね。
 この3つの道は、これまで歩いたことのないところばかりなので、いつかは踏破してみたいものですっ。と、まずは、目の前の街道が待ってますね(笑)


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2002年10月14日:No.033美濃路歩いてきましたっ
 この3連休、みなさんはどういう過ごし方をされたのでしょうか?家でゆっくりした人、紅葉を見に行った人、はたまた仕事三昧だった人・・様々だと思います。私はといえば、この3日間で「美濃路」という街道を歩いてきました。「美濃路」とは、東海道宮宿(愛知県名古屋市)から中山道垂井宿(岐阜県垂井町)までの14里24町15間(約57キロ)の街道のことで、五街道とともに重要視された脇街道でした。その昔は、象まで通ったという不思議な街道でもあります。
墨俣宿の墨俣城。秀吉の一夜城として有名ですね〜♪〜美濃路にて〜 さて、そんな美濃路ですが、「街道」自体にはそれほど大きな期待をしていませんでした。ところが予想に反して、とても素敵な街道でした。街道沿いには、昔ながらの家屋が比較的残されており、歩いて良かったな〜と心から思える街道でした。
 しかし、そもそも今回美濃路を歩こうと思った理由は、いくつかのお城を見たいがためでした(笑)美濃路沿いには、「名古屋城」「清洲城」「墨俣城」「大垣城」と立派なお城があります。ところが、一部のお城は交通の不便なところにあり、どうしたもんかと思っていたところ、なんと美濃路沿いにあることを知り、「これは行くっきゃないな」と即決(笑)そして、今回の放浪に至ったわけです。また、この辺のことについては、後日アップしていきたいと思っています。
 しかし、たった3日間の放浪だったにもかかわらず、密度はめっちゃ濃かった・・。もちろん波瀾万丈ってやつですな(笑)もう書きたいことだらけだけど、頭の中を整理してから、また追々ご報告致します(笑)っちゅうか、絶対に報告しないと気が済まないので(笑)
 さて、今回の写真は、美濃路沿いのお城の一つ「墨俣城(すのまたじょう)」です。秀吉がまだ木下藤吉郎と名乗っていた頃に一夜にして築いたと言われているお城です。例え模擬天守でも、お城はいつ見ても爽快です。
 しかし、この3日間は暑かった〜!10月になって日焼けをするとは夢にも思いませんでした。


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2002年11月17日:No.034東海道その後
 実際の放浪に遅れること5ヶ月・・・ようやくホームページ上での東海道放浪を昨日終えることができました。ただし、正確に言えば、「写真館」をあと1枚残しているのですが、それを載せようか載せまいか悩んでいるところです。ちなみに、どんな写真かと申しますと、最初にして最後の自分の写っている写真です(笑)ゴール直後に道行く人にお願いして撮ってもらいました。表に出さずに、こっそり秘密ページでも作ってそこに掲載しようかとも考えています(笑)
 さて、そんな東海道ですが、一応「放浪日記」に書かなかった三条大橋到達後のことでもご報告しませう。
 あの後ですね、当初の予定では新撰組の諸々の史跡巡りをしようと思っていました。ところが、予想以上の好天かつ気温の上昇でかなり体力を消耗しておりまして、とても歩いてフラフラと廻る気になれず、断念しました。そこで、ちょっとあるお店に立ち寄った日野〜八王子間のイチョウ並木。とっても良い感じに色づいていました♪のち、近くにある八坂神社にお参りしてきました。でも八坂神社って四条の方だから、結果的にはその後も結構歩いているんですね(笑)その後は、知恩院にも行かず、ひたすら地下鉄駅まで歩いて(これも2キロくらい歩きました(笑))、地下鉄で京都駅に。新幹線のチケを買って、そのまま帰途についたという次第です。いやいや・・・思い出しただけで、あの時の情景が目に浮かんできます。あの暑さが・・・・(苦笑)京都には住めないかもしれないです(笑)<自分
 東海道は終わりましたが、次は甲州街道が待っています。さっそく昨日紅葉がピークだとの情報を得て、急遽歩いてきました。その時の写真が上のものです。若干加工しています。天気があまり良くなかったので明るさを上げました。それ以外は手を加えていないので、見て頂ければわかりますようにちょうど良い感じに黄葉していました!ちなみに、場所は八王子付近のイチョウ並木ではなく、日野から八王子の間に植わっていたイチョウ並木です。八王子イチョウ並木の写真は、できばえを見てみたら全滅だったので(泣)、できれば散ってしまう前にもう一度見に行きたいと思っています。<結構色々な意味で微妙ですが(笑)


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2002年11月24日:No.035初対面
 今日は、お台場にある東京ビッグサイトに行ってきました。東京ビッグサイトでは、毎日のように様々な催しを行っており、これまでも仕事の関係で何度か訪れていました。
 今日、この東京ビッグサイトを訪れた目的は、浮浪雲さんのホームページの東海道BBSで知り合った、同じように街道歩きをしている辰春さんの個展を見に行くことでした。デザイン・フェスタという催しに参加をしており、わざわざ京都から東京に出てきたのです。以前、私がまだ東海道を歩いている頃、京都で辰春さんの個展が開かれていたのですが、日程の都合があわなかったので、今回は是非行ってみたいと思っており、それがようやく実現に至ったというわけです。東京ビッグサイト
 辰春さんは、電脳浮世絵師と称して、パソコンの技術を駆使して、昔の浮世絵のような版画を作られている方で、ホームページ上で、その絵を以前から拝見していて、一度実物を見てみたいと思っていたので、今回の訪問に至ったわけです。

 さっそくゆりかもめに乗って到着し、ビッグサイト内へ。そして、デザイン・フェスタが催されているブースにたどり着くとすごい人がっ!とりあえず、端から順々に見ていくことに・・。と、ほどなくして見覚えのある絵を発見。そして、その絵のそばには、ホームページ上に掲載されていたトレードマークの帽子をかぶった人が。さっそく声をかけると、最初私が怪しいサングラスをしていたためか、「ん?」って感じでしたが(笑)すぐにわかってくれたようで一安心(笑)実は、街道歩きをしてる人とアナログで実際に会うのは、今回辰春さんが初めてなのです!
 軽く挨拶をしたあと、さっそく絵を見せてもらうことに。うーん・・実物を見てみると、ものすごい細かい作業だというのがさらにわかりました。どれも良かったんだけど、貧乏人には全て購入するのが不可能なので、とりあえずさんざん迷った末に数枚購入しました。何故か東海道関連がほとんどないのがミソ(笑)
 途中、絵を見がてら、街道話に花が咲き、こうして実際に歩いている人と話す機会はこれまでなかったので、とても充実した時間を過ごすことができました。
 この後仕事に行かなければいけなかったので、あまり長居することなくお別れしましたが、行ってよかったと思いました。また、これからも、多くの人と出会えるような機会があるといいな〜と思ったのでした。


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2002年11月25日:No.036新撰組
 今日のYahoo!ニュースで、こんなタイトルの記事が載っていました。

<新選組>「土方戦死まで放映を」 東京・日野で署名活動

 平成16年のNHK大河ドラマが「新選組!」に決まったことは、周知の通りですが、どうやら脚本を手がける三谷幸喜氏によると‘近藤勇@新選組局長’を主人公に据えて物語を展開していくようです。これが、上記のYahoo!ニュースのタイトル記事と何が関連するのかというと、多くの方がご存じの通り、近藤勇が東京板橋で処刑されたあと、‘土方歳三@新選組副長’は会津、函館と転戦し、函館で戦死するのですが、近藤が主人公を中心にストーリーが展開した場合、土方の死は、ほとんどエピローグ状態で終わりになって可能性が高いため、このような運動が起きているわけです。
 つまりは、池波正太郎氏の「近藤勇白書」ではなく、司馬遼太郎氏の「燃えよ剣」の流れを、土方ファンは望んでいるわけですな。(わかりづらいか?(笑))
 まぁ、個人的には近藤勇は好きです。特に、京都での新選組全盛時代は、男が惚れるような男だったと解釈していましたが、いかんせん、無骨なところもあるためか、土方や沖田総司らに比べて人気は格段に落ちてしまいます。こういう現代の背景もあるためか、三谷氏は「近藤勇を主人公に」して今までにない斬新な近藤像を確立すべく、ストーリー立てを考えたいと思ったのかもしれませんが。
 東海道沿いもそうですが、彼らに縁のある甲州街道沿いでは、像が設置されたり、日野市が街おこしをしたりしています(ただし、日野市の街おこしはちょっと問題が色々起きているようですが(笑))。甲州街道の上石原宿(近藤の生家あり)や日野宿(土方関連史跡多数あり)は、今年から数年間は要チェックですよ〜。
 とりあえず、先日歩いてきた甲州街道は、まさにこの部分に当たるところです。なるべく早いうちにアップしたいと思っているので、今少しお待ち下さいね!


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