日常日記


2002年07月15日:No.023小説
2002年07月31日:No.024近況報告&歩くこと
2002年08月02日:No.025環境
2002年08月05日:No.026東京みちの情報館
2002年08月06日:No.027広島
2002年08月13日:No.028日本橋
2002年09月09日:No.029電線地中化
2002年09月21日:No.030放浪再開

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 2002年7月〜9月 

2002年7月15日:No.023小説
 私は、通勤に鉄道を使っています。その電車に載っている間に、ボーっとしてるのもなんなので、自分の好きな小説を読んでいます。ちょうど今は、「真田太平記」という池波正太郎さんが書いた時代小説を読んでます。余談ですが、池波正太郎さんは私の好きな作家の一人でもあります。他には、司馬遼太郎氏、隆慶一郎氏等々・・。
 そんな池波氏が書いた「真田太平記」は武田家が滅亡するところからはじまり、時は流れて徳川の江戸幕府で真田家が生き残っていく様子までを描く長編小説です。文庫本小説で12冊もある読み応え120%の小説なのですが、時代と場所だけに、ここのホームページでも身近な地名が多数出てきます。
 そして、ちょうど今日読んだところでも「中山峠」などが出てきました。はい、私のホームページを見て下さっている方はもうおわかりですね(笑)通称「佐夜の中山峠」で夜泣き石で有名なところです。場所は、金谷宿と日坂宿の間にあります。小説内の設定では、この中山峠の西側の入り口部分に茶屋があり、その茶屋を営んでいるのが、実は徳川の忍者だというものです(笑)
 この茶屋、外見は普通の茶屋なのに、中に入ると、地下蔵があり、東海道を行き来する徳川側の忍者は、この地下蔵で寝泊まりするのです。うーん、夢があるー(笑)
 読んでいる小説は、当然字だけしか書いてありませんが、その光景は私の脳裏に浮かんできます。それは、実際に自分の足で歩いたからに他なりません。この気持ち、もっと多くの人に味わってもらいたいと思ってます。そのために、ここのホームページももっと色々と企画を立ち上げていきたいと思ってます。まずは、放浪日記を全て掲載してからになりますが、その時までもうちょっと待ってて下さいね(笑)


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2002年7月31日:No.024近況報告&歩くこと
 ご無沙汰しております。毎日暑い日が続いておりますが、みなさまにはお変わりありませんか?(笑)
 私は、暑さでかなり参っております(笑)今住んでいるところに引っ越してきて1年以上が過ぎました。昨年のこの夏は、クーラーを一度もつけずに過ごしたものでしたが、今年は耐えられません(笑)今もクーラーをつけながらこれを書いているわけです。この東京近辺の作られた人工的な暑さにはもう辟易しておる次第です。
 おかげでホームページも更新を怠っている結果になってまして・・・って、暑さのせいだけじゃないんですが(笑)ずいぶん前から、パソコンの調子がおかしかったのです。こうやって文章を打っていると、突然強制終了を食らったりして、更新しようという気力を殺がれていました。
 そして今日、久しぶりに更新する気力が沸いてきたので、さっそくホームページ作成ソフトを立ち上げて作業開始。ところが、打ち始めるや否や、いつもと同じように強制終了の嵐で・・・(笑)しかし、今日は前と違ってここからが見せ場でした(笑)こういう時のネット頼み・・とばかりに、エラーとなっている原因のキーワードをもとに検索・・するといろいろと引っかかりましたが、どれもこれもうまくいかず・・・そこでふと浮かんできたことを実践してみたところ・・・成功っ!こうやってなんの心配もせずに(というのはちょっと語弊がある(笑))作業が出来るのであります。というわけで、半月ぶりに更新作業を開始するよー!
 さて、ここまで東海道の「と」の次も出てこなかったので、そろそろ本題に・・といいつつ、特に書く内容はないんだけど(笑)
 すでに東海道を踏破したことは、以前お知らせした通りですが、その後特に歩きの放浪には出かけていません。特に、この時期に放浪に行くことは、非常に生命の危機を感じるからです。この炎天下、テクテクとアスファルトの上を歩くことは、危険極まりありません。もちろん、きちんと帽子をかぶり、日焼け止めをして、水分補給をこまめにとるなどの対策をすれば、まだいいかもしれませんが、あまりお勧めしたい時期ではありません。
 徐々に涼しくなりかける10月頃からが歩くのにとても良い季節ですね。街も色づき始める頃でもあるし、私もその時期になるまで、放浪はお預けかな?と思っています。
 この時期、歩く旅ではないにせよ、外に出かけるときは、水分の補給と日焼け対策をすることを特にお勧めします。特に水分補給は、汗をたくさんかいたときは「スポーツドリンク」系の飲み物が良いらしいですよ。


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2002年8月2日:No.025環境
 今日の東京は、夕方近くからすごい雨と雷でした。夏特有のものですよね。だいたいこのくらいの時期から、夕立が多くなるんです。その原理はよくわかりませんが。でも、室内にいる分には、この夕立はとても嬉しいものです。雨が降ると外の気温も少しは下がるし、木々も水分補給できて一石二鳥!(笑)
 今日もとっても暑い日でしたが、この暑さは来週半ばまで続くとか前にテレビで言ってたような。昨年の夏も、この時期が一番暑かったことを記憶しています。これでもかっていうくらいに、カンカンに照りつける太陽・・・もしかして、この異常気象はオゾン層破壊から起きているのかなぁ。
 環境の話が出てきたついでにもう一つ。
 昨日、8月1日は「省エネの日」だったそうです。なぜこの日が「省エネの日」なのかは知りませんが、某ラジオで朝から特集を組んでいました。エアコンの気温は28度が望ましいそうです。でも28度って結構高いような気がするけど。結局、建物内を冷やしすぎているから、外に出た時との気温差が激しく感じちゃうんだよね。だから、夏風邪をひいている人も私の周りには増えてきました。
 環境対策としての「省エネ」ももちろんだけど、体の健康のことも考えて、もっとこのことに目を向けなければいけないなぁ〜と思いました。

 東海道に関係ない話だったけど、これからここではこうした話も書いていこうかな?と思っています。もし、ご意見等あればいつでも交流広場かメルでお願いします。


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2002年8月5日:No.026東京みちの情報館
 今日も一日暑い日でした。なんでこんなに暑いんだろう・・って夏だからと言ってしまえばそれまでなんですが、暑さにも限度ってもんがあると思いません?(笑)
 今日は、午前中だけ夏休みをもらって、仕事場に向かう前にある場所に行って来ました。それは、新宿御苑のすぐ横にある「みちの情報館」というところです。ここは、東京都内を中心とした道路に関することを取り扱った施設で、次の街道歩きの資料集めのために訪れました。なんで、会社を休んでまで出かけたのかというと、ここは土曜日および日祝日はお休みなのです。つまり、平日のみの開館なので、こういう機会がないと訪れることが出来なかったのです。秋からの街道歩きに備えて、今から収集を始めようと思い、今日ようやくそれが実現したわけです。みちの情報館〜新宿御苑近くにあります
 施設の中はといいますと、いろいろな展示物やPCが置いてあります。そして、お目当ての東京都区内の旧街道に関する資料はと言いますと・・・はい、ありました(笑)しかも、日本橋を起点とする主要な五街道全ての詳細な地図をゲットすることができましたーっ!
 そして、次に行こうと思っている街道の地図もめちゃくちゃ詳細なものではないにせよ、とても参考になる地図もゲットすることができて、来た甲斐があったというものです。
 ここの館長らしき人と少し話をしたのですが、とても腰の低い親切な方で、色々と資料に関して教えてくれました。一応私も国土交通省所管の人間なので、名刺を渡してきました。そしたら、ちょっと驚いていましたが、出さない方が良かったかなぁ・・・・。
 この「みちの情報館」は、平日の10:00〜17:00(入場無料)で、地下鉄丸の内線新宿御苑前駅徒歩5分のところにあります。これから、日本橋から五街道のいずれかを歩こうと思っている方は、是非ここで東京都区内の詳細地図を入手することをお勧めします。くどいですが、土曜日や日祝日は休館日なのでご注意を!


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2002年8月6日:No.027広島
 8月6日・・・日本人が・・いや、世界中の人が忘れてはいけない日です。日本の広島に原爆が投下された日です。あれから57年の歳月が過ぎました。当時のことを見聞きしている人は、だいぶ少なくなってきたことと思います。もちろん、私は戦争未体験世代であり、当時の様子は、既存の資料等でしか知ることができません。しかし、その既存のものが私たちに訴えかけてくることを、ひしひしと感じることができます。その代表的なものの一つとして、下に掲載した「原爆ドーム」があります。広島・原爆ドームです。このドームを見た時、とても心が痛みました。−−中央部が白っぽくなっているのは、写真をデジカメで再撮影して、フラッシュの光が写ってしまったためです。そのため、写真を加工してセピア色にしています。−−
 この写真は、私が2度目に広島に訪れた時に写したものです。もちろん、つい最近の話で、セピア色にしてあるのはわざとです。理由を知りたい方は、写真の上にマウスを置いて下さい。コメントが出るので。
 ちょうど57年前の今日、原爆ドームの真上近くで核爆弾は破裂し、周辺部の建物の大部分は灰と化しました。当時の模様を、ドーム近くの平和記念資料館で知ることができました。それまで、私は漫画の「はだしのゲン」などで、その悲惨さを見聞きしていたつもりでしたが、資料館でそれ以上のすさまじさを直接肌で感じてきました。
 ここを訪れた人で、普通の神経を持つ人ならば、必ず「戦争は二度と起こしてはいけない」という気持ちになるはずだと、私は確信しました。ところが、実際に戦争はなくなっていません。今も地球上のどこかで戦争は行われています。そして、昨年9月に起きたアメリカ同時多発テロ事件をきっかけに、アメリカが核を行使するかのような行動を起こしています。

 なぜ人は争うの?なぜ人は同じ過ちを犯そうとしてるの?・・・「歴史は繰り返す」とは、よく言われることですが、こんな歴史は二度と刻んで欲しくない。原爆ドームがなぜ「世界遺産」に登録されたのかを、もっと世界中の人に浸透させなければいけません。そして、それは私たち戦争を知らない世代に託された使命でもあるのです。


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2002年8月13日:No.028日本橋
 今日付けの朝日新聞の朝刊のコラム(天声人語)に、日本を旅行中の外国人の話が載っていました。
 彼(だと思う)曰く、日本の橋に関心があるとのことで、全国の橋を見て歩いたそうです。そして、東京に来た時に、かつての五街道の起点である「日本橋」を訪れた。しかし、彼はこう言いました。

 「正直いえば醜かった」

 確かに、日本人の視点から見ても決して景観的に良いとは言えない。いや、日本人でも外国人でも美しいものは美しい、醜いものは醜いという感性は変わらないはず。なんだか、自分自身で気になっていたことをずばり指摘されたようで、ハッとしてしまいました。日本橋〜かつての名橋は時代の移り変わりと共に大きく様変わりしてしまいました−上を通過しているのが高速道路です
 日本橋が今のような景観になったのは、天声人語曰く高速道路が建設された1963年以降だと言う。確かに、橋の上に道があるのとないのとでは、景観的もまったく違う景色を醸し出すことになるに違いない。
 私自身、東海道を歩き始めようとした時に、初めてこの日本橋をじっくりと見たのですが、え?これが日本橋?・・とちょっとだけとまどったことを覚えています。これが旅の始まりだったから良かったようなものの、もし京都から来てここが終着点だとしたら、さぞがっかりしてしまうだろうな〜と。実際に、西から東へ歩いている方もいると思うので、あまり過度な期待はしてほしくないのが現在の日本橋なのです。
 しかし、コラム「天声人語」は続けており、なんと「日本橋復活」を目指す動きがあるとのことです。来年でちょうど架橋400年になるとのことで、なんとかして、昔日の姿を取り戻して欲しいな〜と、街道を歩く人間の一人として切に願うのでありました。


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2002年9月9日:No.029電線地中化
 ここ数日アップしている関宿ですが、なぜこの宿場が注目されているのか・・・それは、もちろん様々なプラスの要素が絡み合っているからに相違ありませんが、その要素の一つとして「電線地中化」があると思います。
 日本の今昔の景観を比べてみると、まず目に入ってくるのが「電線及び電柱があるかないか」ということです。今の我々の生活に「電気」はなくてはならないものですが、街の景観という別方面から見た時に、これは非常によろしくないことは周知の通りです。
関宿の街並み〜国の重要建築物群保存地区に指定されています これはいかんと、国が考えたのが「電線地中化」に対する補助支援事業の創設でした。と言っても、結構前からあったのですが、それでもなかなか実践されていないところが多いようです。
 なぜ電線地中化がなかなか推進されないのか・・・それは、ある人の話によれば「電力会社」との関係が絡んできているようです。そもそも電線及び電柱は電力会社のものであり、電力会社が「うん、整備しましょう」と首を縦に振らなければ、簡単に電柱・電線を地中化してしまうことはできないのです。さらに、電力会社側からすれば、地中化してしまうと、メンテナンス工事等がわざわざ地下にもぐって作業しなければいけないという。これは、そっち方面に勤めている友人から聞いた話。
 これらを総合的に見てみると、お金がかかるけど景観が良くなるのと、お金がかからず景観は醜いままだけど、電力会社は嬉しいということ・・・後者を選ぶところが多いのでしょうか?
 しかし、東海道等の歴史的街並みが展開されているところは、ぜひとも電線地中化を推進してもらいたいのは、私の切なる願いです。上に関宿の写真を載せましたが、この街並みを維持管理をしていくのは大変だと思います。だがしかし、この宿場町のような昔を再現した街並みがもっとあちこちで見られるといいなぁ〜。それは、きっと観光客増加等の地域振興を図ることができると思います。そして私も、いつか仕事でバックアップしていければなぁ〜と思います。


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2002年9月21日:No.030放浪再開
 すみませーん。すっかり更新が滞っています〜(汗)
 ちょっと仕事の関係で、更新をする時間が取れなかったもので。
 そんなこんなで(どんなだ・・)、ついに二ヶ月半の時を経て、放浪を再開しましたーやったーっ(笑)もちろん、前回と同じ「東海道」ではなく、今回は五街道の一つでもある「甲州街道」です。「甲州道中」とも言うようですが、日本橋から下諏訪(長野県)まで約220キロの街道で、下諏訪で中山道とぶつかります。その甲州街道放浪の第一日目が今日でした。
ついに放浪を再開しましたっ!写真は、皇居付近より丸の内周辺のオフィスビル群を望むの図 今日は、事前の天気予報より天気がよいとの情報を得ていましたが、予想していたよりかなりの好天に恵まれまして、後半は、ちょっとバテ気味でした(笑)まぁ、久しぶりに歩いたということもあると思います。
 その久しぶりの放浪(街道歩き)ですが、やっぱり良いですね〜。車で往来するのでは体験できない色々なことがあります。この辺の話は、またいずれ「放浪日記」で述べることとして(笑)
 甲州街道はまた東海道とは違った一面を持った街道のようです。
 歩きを始めるまでに、色々な資料を調べていたのですが、なかなか「これだっ」っていう資料に巡り会えず、結局色々な資料を見ながら歩いたのですが、東海道に比べて旧道が残っているところが少なく、国道歩きが多くなりそうな感じです。今回もほとんどが国道歩きでした(笑)(※国道歩きは、東海道の時に書いた放浪日記のあちこちに書いていますが、かなり苦痛な空間でもあるのです)
 今回の「甲州街道放浪」は、なるべくリアルタイムでホームページの更新をしていきたいと思ってるので(今は思ってるだけ(笑))、あまり期待をせずに期待してて下さい<どっちやねん
 ちなみに、今回載せた写真は、皇居付近から見た丸の内地区周辺(東京駅近辺)のオフィスビル群です。

 それから、「東海道」の更新も大詰めを迎えているので、良かったら最後の感動のゴール(?)までお付き合い頂ければこれ幸いです(笑)


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