足柄古道を歩く(矢倉沢往還)

 #足柄−関本 平成15年(2003)12月30日(火)


注:写真データが消失してしまい、文章のみの日記となっております。記録として掲載しております。


平成15年(2003)12月30日(火) 足柄古道(矢倉沢往還):足柄〜関本 天気:晴れ

■暮れゆく2003年末、男は旅立つ
 暮れゆく2003年末早朝、国府津駅で東海道線から御殿場線に乗り換えをしようとしている男がいた。男は、一昨日北国街道放浪から帰ってきたばかりで、しかも年末であるにも関わらず未だ大掃除も終えていないさなか、再び放浪しようとしていた。自分自身でもあきれるばかりだが、仕事に追われて満足に街道歩きができなかった2003年を気持ちよく締めて年越ししたいと思い立った結果だった。と、自分を正当化してみる(笑)

 2003年の最後の放浪先に選んだのは足柄古道。別名矢倉沢往還とも呼ばれるこの街道は、江戸時代よりさらにさかのぼること平安時代の官道であった。西の都から来た道は、御殿場を抜け、足柄峠を越え、伊勢原等を経て武蔵国へと続いている。今日はそのうちの足柄峠越えルートを歩こうとしているのだった。もっとも、今回は街道歩きというよりも、むしろ富士山を見に行くというのが正解だろう。そう、この日は雲一つない快晴に恵まれた日になるはずなのだ!・・・たぶん(願)

 御殿場線に揺られること約40分、本日の出発点・足柄駅に到着。周りを山に囲まれているところなので、まだ日が当たっておらず寒い。さっそく歩き始めようと万歩計をリセッ・・あっ・・万歩計忘れた・・・。しかーし!運良く以前100円ショップで購入した万歩計がカバンに入れっぱなしになっていたのでさっそく装着し、歩き始めた(7:50)。



■富士の姿に胸躍らせる
 まずは前進・・ではなく、いきなり後退し、駅近くのコンビニで食料調達。自分の記憶が確かならば、峠を越えるまでこの先お店はないはず。朝食も兼ねて多めに食料を購入しておくことにする。あらためて駅からスタート(<だったらここから万歩計をリセットすれば良いのにね)。

 足柄駅前にたたずむ「熊にのった金太郎像」を横目に踏切を渡る。そのまま変則十字路を直進。まだ日も射さない眠っている集落を抜けると、徐々に道は急坂になってくる。ふと振り返ると富士山の姿が目の前に。雲一つ無いきれいな青空の中に富士の雄大な姿がそびえている。まだこの場所からは裾野の方が見えないが、こりゃ足柄峠からの富士山が楽しみだぞー!ウキウキしながら先を目指す。


■つづれ折れの県道をゆく
 この足柄古道を歩くにあたって、事前にほとんど下調べをしなかったのだが、至るところに「足柄古道」と書かれた案内板が見られ、迷う心配はなさそうだ。ところどころに説明板も立てられている。南北朝時代等歴史的にはかなり古い時代のものが多い。その真偽はともかくとして、こうして歴史を大事にしている小山町の取り組みを評価したい。でも、どれだけの人が歩いているのかなぁ。

 しばらく車の通行が可能な砂利道が続く。道の横には水のきれいな川が流れ、夏なら気持ち良いだろうが、冬では水がきれいであればあるほど一層寒さを覚えてしまう。テクテク歩き、急坂が平坦になるとほどなくして『虎御前石の案内板』。そこから100mほどで広めのアスファルト県道に合流。
しかし、この県道、すぐに細くなる。車のすれ違いがやっとと言う感じだ。そして道は再び登り坂に。ここまであまり日が当たらないと思われる所々に雪を見かけたが、この県道も例外ではなく、さらに悪いことにアイスバーン化していた。うひょー滑るでー。気をつけながらゆっくりと歩みを進める。
 道は右に左にと曲がりながら登り続ける。さっきから道が曲がるたびに富士山が左に右に見えているのだが、杉林が邪魔をしてよくわからない。早く全貌が見たいのだー。
 『水飲み場』を過ぎて、ほどなく左手に「足柄古道案内板」。ここから歩行者専用道を進むことに。おっ・・いきなり石畳のお出迎えだ。雰囲気出てきたぞー。『馬頭観世音』を左手に、すぐ登ったところで急に視界が開けた。「おー!富士山だー」(<子供みたい)しかし、すぐに林の中へ。


■未確認動物(?)と遭遇!
 その後、街道歩きが登山に変わったかのような山道を登る。いつの間にか、周辺が杉木ではなく竹やぶ状態に。その竹やぶの間を縫うように進むと、右手に『景気石』。世の中が良くなると地面から顔を出し、悪くなると土の中に潜ってしまうそうだが、昔はもっと顔を出していたのかな?
 県道まで100メートルと書かれた案内板を過ぎて、ほどなく『富士見台』。その名に恥じず目の前に富士山が!!!!!おお〜・・・感動・・。しばし言葉を失う。でも、足柄峠の富士山はもっとすごいはず。ほとんど休むことなく再び登り始める。
 県道にぶつかるも、そのまま横切って真向かいの足柄古道案内板のある古道へ。道は再び杉木が生い茂る急な登り坂となる。

 杉林から竹やぶに変わった頃から道が緩やかになり気がフッとゆるむ。その時!目の前を何か動物が横切った!
「ビクッ」
 息をころしてじっとしていると、静寂を破るように私の前方と後方でがさごそと音がし始める。さっき目の前を横切った動物を見た感じだと、鳥っぽかったが・・。歩いていたところを見ると、ニワトリ・・か?(注:後日、どうやらキジらしいと結論づけてみる)そこからほどなくして県道に合流。


■雄大な富士・・・感動
足柄峠からの富士山〜唯一残っていた写真でした
【足柄峠からの富士山の雄姿】
 合流してすぐのところに『芭蕉句碑』を発見。芭蕉は色々なところを歩いていたんだなぁ。そして、再び富士に背を向け足柄峠へ向けて歩き出す。もうこのアスファルト道路は見慣れた景色。「峠はすぐそこだっ」と早歩き気味になる。そして、道がほとんど平らになったところで、左手の小山に登る入り口が。そこを登ると目の前にドーンと富士山が!
 「すげーーー!!!!」思わず叫んでしまった。それほど素晴らしい富士山だった。そう、ここが今日の最大の目的地・足柄峠だ(9:23)。かつては、足柄城があったところで、現在は城址公園として整備されているところであり、未だ整備中だ。
 ちょうど良い具合にベンチがあったので、カバンを置いて撮影大会開始。デジカメの解像度を最大にしてひたすら撮りまくる。そして、ひたすら撮りまくった後は、ベンチに座ってゆっくりと富士山を眺めることにしよう。



■富士山を思ふ

 雲一つ無い真っ青な空に雄大にそびえる富士山を見てみると、視線を逸らすことができなくなり、吸い込まれそうになる。また、逆に圧倒される時もあるし、全てを包み込んでくれる時もある。まさに日本の、いや世界の宝の山だ。
 あらためて富士山の姿を見ていると、この美しい自然の作り上げた無二の芸術品が、かつて噴火によって人々を苦しめたとは到底思えない。しかし、今現在でも噴火する可能性は残っている。自然とは、かくも人智を超えるものなのか、とあらためて実感。

 家から持参したみかんを食べたりしながら、かれこれ30分ほど富士山を見つつボーっとしていた。目を閉じても富士の情景が瞼(まぶた)の奥に浮かぶくらいに・・・。

 しばらくして、せっかくの澄み切った空気を濁すかのような騒がしい集団がやって来たので、これを期に絶景ポイントを後にする。また機会を見て来よう(9:58)。


■足柄峠を下りはじめる
 峠のすぐ近くの金時山入り口に当たるところに『新羅三郎の笛吹塚』石碑があった。金時山は、小さい頃よく登った山で、そこからの富士山も絶景だった。でも今日は登山ではなく街道歩き(とても街道とは呼べない道がほとんどだが・・(笑))、さらに先に進むことに。ここから道は下り坂となる。
 下り始めてすぐ左手に『聖天堂』。聖天堂の前には足柄駅で見かけた「クマにまたがった金太郎像」があった。そして、道の反対側には『足柄関所跡』。かつて黒沢明監督が映画「乱」で使用したセットの門が移築されている。往時の雰囲気が感じられて良い感じだ。今まで何度とここを訪れたが、じっくり見たのは初めて。というか、その存在も初めて知った。当時は、今ほど歴史に興味がなかったし。さっそく写真に収めた後、道路の向かい側にあるトイレを借用。

 すっきりしたところで、トイレから数十メートル下った道路の向かい側から、歩行者専用の足柄古道が再び始まる。見慣れた案内板も立てられている。行きと違い、今度は下る一方だ。楽だぞーと思いきや、いきなり倒木をくぐり抜ける道が続いたのでほとんど人が歩かない道なのではないのかと少しひいてしまう。しかし、その後の道は快調でスイスイと降りていくと前方に大きな石が。これは『源頼光の腰掛け石』だ。石を写真に収めた後、再び下り始めようとした時に下からご夫婦ハイカーがやってきた。
「こんにちは〜」
 このご夫婦と少し話をした。今日は足柄駅からやって来た旨を話すと「向こう側の雪は大丈夫かしら?」と問うてきたので、歩くには問題ないですよーと話したところ「ほぉ〜良かったわぁ」とホッと一安心と言った感じだった。その会話に気分良くなり、ご夫婦に別れを告げ再び下り始める。


■あなどり難し・・足柄古道の充実
 この足柄古道、かなりあなどっていた。かなり良い道である。これまで歩いていた街道と比べると少し異なるが、それでもかつての官道だ。そして、現在では歴史の面影を残したハイキングコースとして多くの人に利用されているようだ。その証拠に、何人かのご夫婦とすれ違った。この神奈川県側から峠を目指す人が多いようだが、私は富士山を早く見たかったので、距離の短い足柄駅からあえて登った。稜線のくっきりした富士山を見たい人には、足柄駅からのコースをお勧めしたいな。逆に、純粋にハイキングもしくは軽登山をしたい人は、地蔵堂方面からのコースがお奨め。

 県道と交わりつつひたすら下り、歩行者専用の道が途切れたところから県道沿いを歩く。県道を歩いていると、左手にこんもりしたおにぎりのような山が見えてくる。これが矢倉岳だ。実は、小さい頃からおにぎり山と勝手に命名し、何度か山頂まで登っている山でもある。この山が見えた辺りから、道の下をのぞいてみると新規道路整備を行っているのが見える。
 足柄関跡付近から下り始めて約30分、お茶畑とともに家屋が見えてきた。それから結構車通りの激しい県道を下り、地蔵堂に到着。地蔵堂近くには、うどん屋があったが、特にお腹が空いていなかったので先を急ぐことに。ここから地蔵堂脇の登り坂を進む。穏やかな道を進み、橋が見えたら左折し長者橋を渡る。この辺りも日があまり当たらないのか、お昼近くになっても道がアイスバーン状態だ。


■チェックを怠る市職員
 さらに登り坂を進み、道が二手に分かれたところで左折。これが正しい足柄古道。もっとも、道はここまでもこの先も車の通れるアスファルト道路だ。ただし、主要道路ではないため、ほとんど車の往来はない。もちろん人の往来もなく、寂しい限りである。太陽がサンサンと降り注ぐ、この暖かい陽気が救いか。
 途中右手に、頼朝が名月を鑑賞したという『ひじ松』が道下28m先にあるというので行ってみたら、松などなく祠があるだけで、しかも道はかなり荒れていた。ここを訪れるのはやめた方が良いであろう。また、さらに歩いたところ左手に壊れた説明板がほったらかしにされており、見てみたら『定山城跡』と書かれていた。この辺りに城があったのだろうが、この説明板はひどい。しかも、説明版は、かなり前に倒されたと見える。南足柄市職員は、全然点検に訪れないのね。
 ドンドン下り、再び先ほどの県道に合流。その少し先に『家康陣馬の跡』。この先に道が続いているように見えるが、ここは足柄古道ではないので要注意。このまま県道を歩くと左手に続く細い道があるので、それが正解。案内板があるので要確認。
 この細い道に入ってすぐに小屋があり、そこに地元のおばあさんとすれ違いざま挨拶。「こんにちは〜」地元の人とふれあえると気持ちいい。


■麓まで下りきる
 そのままひたすら道なりに下ると眼下に先ほどの県道が見えるT字路にぶつかる。ここで右折して県道に出る。そして、そのまま直進する。かなり太く立派なアスファルト道路に変わるので古道ではないのではと不安になるが、この道もすぐに落ち着いた細い裏道と化すので心配無用。そのまま右手に川や釣り堀、左手にみかんの木を見つつ道を下ると、足柄古道と書かれた案内板が見られる。そのまま落ち着いた集落を歩いていると、右手遠方に街が見える。だいぶ麓が近くなってきた。
 矢倉沢バス停が見えたところで県道と合流。この辺りに一里塚跡があるはずなのだが気づかなかった。また、関所跡もあるはずなのだがこれも見つけられず。と、ここでキ〜ンコ〜ンカ〜ンコ〜ンと学校のチャイムが。時計を見ると12時だった。
 その少し歩いたところの東山バス停付近に『芭蕉句碑』。これで大きな見どころはなくなった。あとはひたすら駅を目指すのみだ。途中、道祖神等は見かけるも、これと言ったものはなく、ひたすら緩やかな県道を下る。途中、左手にものすごい急な階段があった。どうやら足柄神社らしい。


■足柄古道踏破!
 苅野駐在所近くで、「足柄古道」と書かれた案内板と、その先に続く道が・・・あ〜この辺りにも足柄古道が存在していたのかと、プチショックを受ける。それでも、気を取り直しつつ、矢倉沢バス停から約1時間、ようやく大雄山駅のある関本に到着。
 ここに来るのは数年ぶりだ。駅前のユニーでトイレを借用し、大雄山線の始発駅・大雄山駅に到着。さっそく電車の出発時刻を見てみると、出発まであと1分もない。いつものことながら余韻に浸る間もなく、急いで電車に飛び乗ったのであった。(完)


歩数計 23,414歩
カロリー −−
距 離 14.05km
時 間 7:50〜13:01
支 出 交通費|2,570円
飲食費|1,226円
その他|0円

2004.4.7update


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