#きっかけ


甲州街道歩きが決まるまで
 甲州街道を歩こうと思ったのは、東海道を歩いていた時でした。

 東海道を歩き始めて1年以上が過ぎ、いよいよ京都が近づいてきて、街道歩きも終わりに近づいていました。東海道を歩いている時、苦しいこと、辛いことたくさんありましたが、それを補って余りあるほどのたくさんの楽しいことがありました。その夢のような時が終わってしまう・・そう思った瞬間に、このまま東海道だけで街道歩きを終わらせたくないと思うようになりました。
 次は、どの街道を歩こうか?同じ道を歩くのは安易すぎるので、別の街道にしよう・・・色々と考えました。やはり歩くならメジャー級の「五街道」か・・。
京都を出発して再び日本橋に帰る「中山道」、はたまた、小学校の修学旅行以来の東照宮までの「日光街道」、これから紅葉がきれいな「奥州街道」・・うーん、どれも捨てがたい。しかし、実はすでに次の街道を歩こうと思った瞬間からこれは決まっていたと言っても過言ではありませんでした。そして、結果、歩こうと決めたのは「甲州街道」でした。


なぜ「甲州街道」なのか?
 さて、ではなぜそんなに迷うことなく「甲州街道」を歩こうと決めたのかと言いますと、甲州街道を歩きたい3つの要素があったからなのです。一つ目は「富士山」。二つ目は「新撰組」。三つ目は「武田信玄」。この3つの要素が絡まりあって、今回の結論が出ました。
 と言っても、中山道にしても日光・奥州街道にしても見所はたくさんあると思います。やはり元々信濃・甲州地方が好きだったというのもあります。学生の頃は、よく青春18切符を使って、甲府にふらっと訪れたり、松本城を見に行ったり、八ヶ岳や南アルプスの山々を登ったりしていました。これらに再び出会えるのかと思うと、胸がワクワクしてきます。


甲州街道とは
犬目からの富士山 甲州街道とは、「甲州道中」とも呼ばれている街道で五街道の一つに数えられています。五街道は、どの街道も全て「日本橋」を起点にしています。その中で「甲州街道」は江戸・日本橋から武蔵(東京都)・相模(東京都・神奈川県)・甲斐(山梨県)・信濃(長野県)を通過して、信濃の下諏訪宿が終点となっていまして、距離にして約53里24町(約211キロ)です。今でいうところの、国道20号線がそれにあたります。
日野館 やはり山間部を通っている街道であるため、峠越えも何カ所かあります。そして、冬になると雪も降るなどなかなか厳しい街道でもあります。そういうこともあったのかどうかわかりませんが、甲州街道は五街道の一つでしたが、参勤交代等の大名や旅人の多くは、この街道を通らずに、東海道や中山道を利用したようです。
信玄開基の甲斐善光寺 また、甲州街道の終着点は下諏訪宿ですが、この宿場で中山道と合流します。中山道は東海道と同様に日本橋を出て信州の山間部を通り京都まで続いている街道で、海沿いの関所改めや川越しなどを嫌った人が多く利用したそうです。
 東海道や中山道などに比べて、旧街道の名残はあまり見られないかもしれませんが、なるべく歴史に触れていきたいと思っています。
→放浪日記へ

2002.9.22現在


トップページ甲州街道を歩く(甲州道中)>きっかけ