東海道を歩く(東海道五十三次) / 歴史探訪


東海道:府中宿〜丸子宿
府中宿〜今では静岡県の県庁所在地となっています 府中宿
東海道19番目の宿場です。
駿河国で最大規模の賑わいを誇った宿場であり、駿府城の城下町としても栄えました。現在も静岡市の中心部にあたり、東海道でも有数の大都市となっています。
しかし、宿場関係の史跡はほとんど残っていません。家康関係の史跡は多少残っています。
また、十返舎一九の生誕地でもあります。

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久能山東照宮道々標 久能山東照宮道道標
久能山東照宮に向かう道の分岐標です。

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西郷山岡会見の場所? 西郷山岡会見の場所
慶応4年(1868)旧幕府方を平定すべく駿府まで軍を進めた西郷隆盛のもとに、勝海舟からの手紙を携え山岡鉄舟が乗り込みました。この会見は、勝・西郷の開城談判の前哨戦ともいえるもので、鉄舟は徳川慶喜の身柄につき西郷に善処を約束させました。
しかし、左の写真は、その会見場所が見つからなかったため、パチンコ屋の前にあった説明版を撮ったものです。

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駿府城址 駿府城址
慶長12年(1607)、徳川家康は駿府を隠居地と定め、駿府城を普請しました。完成後江戸から移り、晩年の10年をここで過ごしました。
その後、城郭は火事や地震で失われ、今は駿府公園として整備され、住民の憩いの場となっています。
平成元年に、二の丸東御門と巽櫓が復元されています。
(→写真館

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札の辻址 札の辻址
宿場の中心部に当たる駿府城大手門正面の町口だった所には、明治7年まで高札場が置かれ、札の辻と呼ばれていました。
現在は、標柱がたっています。

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安倍川の川越所跡 安倍川の川会所跡
安倍川は、昔は川越人夫による川渡しが行われていました。
ここは、毎日、川役人が勤務して川越人夫を指示したり川越賃銭の取り扱いなどをしていたそうです。

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安倍川の義夫の碑 安倍川の義夫の碑
ある時、安倍川へ来た旅人が人足に払うお金を惜しみ、川を泳いで渡ってしまいました。ところが、このお客が財布を落としたことに気づいた川越人足・喜兵衛は、宇津ノ谷峠まで追いかけて返してあげました。これに感激した旅人は、彼に礼を渡そうとしますが、喜兵衛は頑として受け取ろうとしませんでした。そのため、旅人から届けを受けた奉行所が代わりに褒美のお金を喜兵衛に渡したという話が伝わっています。

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2002.3.9update


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