#第9日目|美濃太田−細久手 平成17年(2005)5月15日(日) 天気:曇一時雨のち晴


中山道行程図〜第九日目|美濃太田−細久手


■中山道第9日目スタート
早朝の宿場は、人っ子一人おらず落ち着いています
【早朝の太田宿】
 目覚まし前に起床。カーテンを開けてみると、どんよりとした曇り空。テレビをつけてみると、天気予報で雨の確率40%となっていたので、どこかで降られることを覚悟して、元気良く出発!(7:12)
 まずは、美濃太田駅から街道復帰を目指す。駅から続く商店街は、昨日の賑やかさとは一転して、とても静かだ。
 太田宿の街並みも、まだ目覚めていない。人っ子一人見かけない早朝の宿場をのんびりゆく。

■曇天の下、太田宿を抜けて
 左手に宿場案内碑を見つつ、信号にぶつかるのでここを右折。この曲尺手のところが宿場の終点だ。木曽川にぶつかるので、そのまま川沿いの遊歩道を歩く。宿場とは一転、朝から走ったり歩いたりしている人を見かける。こんなに気持ちよく歩けるところがあるなんて羨ましいなぁ。その遊歩道を歩いていると、右手前方に太田橋が見えてきた
宿場を示す碑
宿場案内碑
宿場に終わりを告げて
信号を右折
雄大な木曽川の流れを眺めながら
木曽川沿いの遊歩道
現代でも三代難所の一つが
太田橋が見えてきた


■今昔木曾街道六十九次−太田−
 広重が描いた「太田宿」は、太田の渡しである。太田の渡しは、「木曽のかけはし、太田の渡し、碓氷峠がなくばよい」と馬子唄に唄われた、中山道の難所の一つ。当時の木曽川は、かなり流れが急だったようだ。現在、流れは緩やかになっているが、残念ながら川渡しはなくなり、その代わり歩道&路肩のない太田橋が架かっている。なので、この橋も、現代の難所の一つと言えよう。
 ちなみに、広重は、対岸から太田宿方面を望んだ景色を描いたが、写真は太田宿側から対岸を望んだ構図となっている。
木曾街道六十九次 太田 広重作


■三代難所・太田橋を渡る
 さて、太田の渡し跡に立ち寄った後、いよいよ現代の難関太田橋を渡る。まず、渡し跡から続く階段を登ると休憩スペースがあるが、そこから道路に続く構造になっていない!歩行者は、この道を歩くなって言うこと?それでも、ガードレールをまたいで道路へ。そして、いよいよ現代の難関・歩道&路肩のない太田橋を渡る。
 早朝のため、車の数は日中に比べて確実に少ないはずだが、時たま真横を通る車に背筋も凍る。それでも、橋途中から対岸の今渡の渡し跡を撮影し、なんとか無事に対岸に渡ることに成功。道の左側に今渡の渡し場跡公園が整備されている。

 しかし、日中歩かれる方は、十二分に注意して下さい、本当に。
道路に渡れないんですけど・・
歩行者を拒む構造
現代の三代難所の一つ・太田橋
歩道・路肩ない太田橋
対岸の渡し場跡
今渡の渡し跡
橋を渡りきるときれいな公園が整備されていました
今渡の渡し場跡公園

■国道歩き
 無事、太田橋という難関を突破したはいいが、ここから単調な歩きがはじまる。見所なくJR太多線の踏切を渡り、国道に合流。うぇー朝からすごい車の量だ。辟易しつつ、追い打ちをかけるように道は登り坂に。登り切ったところの中恵土交差点を越えた先左手に一里塚跡碑。こんな国道沿いだと、そんなささやかな石碑一つにも満足してしまうのだ。
 その先、手持ち資料には書かれていないが、国道バイパス工事中。それを横目に、従来からの国道へ。さらに進むと、左手に上恵土神社。そろそろ伏見宿が近くなってきた。
ちょうど電車が
JR太多線を横切る
国道脇にひっそりと
一里塚跡
車はみんなバイパスへ
国道バイパス整備中
そろそろ伏見宿
上恵土神社


■あっという間の伏見宿をゆく
 ところどころにかつて宿場だったのではないかと臭わせる格子窓の家屋が点在していることで、かろうじて往時の宿場を偲ばせているのみである。特に、公民館前に本陣跡碑と「是より東尾州領」と書かれた石碑ぐらいしか、明確な宿場だったことを示す史跡はない。もっとも、宿場として位置づけられたのも元禄7年(1694)と遅く、しかも宿場の長さは約575mと、当時はそれほど大きな宿場ではなかったようだ。
 そうこうしているうちに、あっという間に宿場を通過。
伏見宿の街並み 本陣跡 本陣跡 伏見宿の街並み
伏見宿の街並み 本陣跡 本陣跡 道標


■今昔木曾街道六十九次−伏見−
 広重が描いたこの伏見宿の絵図は、大きな杉のそばで旅人が休んだり往来している様子が描かれている。この杉の大木だが、現在の街並みでは、見かけることが出来ない。公民館前の案内板によると、宿西方の枝道に「伏見大杉」があったそうで、それを描いたのかもしれない。
 苦肉の策として、宿場の東はずれの、遠くに山並みの見える景色をもって代用することにした。
木曾街道六十九次 伏見 広重作


■国道を逸れて裏道へ
 家並みが跡切れ、道は下り坂に。信号のある高倉T字路で右折すると花フェスタ会場に行けるが(約2.5km)、今回は断念。なお、ここが宿場の東端となる。
 その先、左手に道標があるY字路を左折。いや〜裏道はホントホッとするなぁ。十字路にぶつかるので右折。ちゃんと案内碑があるので、迷った時は周りを見渡しましょう。新しい高速道路高架下をくぐった先右手に御嵩町指定名木の柿の木。秋には、たわわな実をつけるのかな。そして、再び国道に合流するが、その手前に比衣一里塚跡
国道を逸れて左折
国道を逸れて左折
十字路で右折。案内があるので周りをチェック!
十字路を右折(案内有)
街道脇の柿の木
柿(御嵩町指定名木)
資料が間違ってました
比衣一里塚跡

■国道と裏道を行ったり来たり
 国道合流後、歩道がなくなる。うぇー勘弁してー。でも、平成17年7月には歩道が出来るらしい。これから歩く人は、安心です。その先、左手に八幡神社。あれ?顔戸城跡見逃したー。でも、今の歩道無しのルートを戻る気がせずに断念。
 再びY字路があるので、国道を逸れて左折。しかし、その裏道も長く続かず、再度国道に合流。そのまま国道沿いを歩いていると、左手に鬼首塚。モミジが植わり、秋はよさげ。
今は歩道がないけど、平成17年7月には歩道が完成するらしい
歩道設置工事中
顔戸城跡は見逃しました
八幡神社
国道を逸れる時は、心の安らぎの時
国道を逸れて左折
紅葉が植わっており、秋はよさげ
鬼首塚

■国道を逸れて落ち着いた街並みをゆく
 中央公民館先の交差点を右折。長かった国道歩きに終わりを告げる瞬間だ。そのまま南下すると正面に歴史のありそうな御菓子屋さんがあるので、ここを左折。その先には落ち着いた街並みが続いている。と、それを堪能する間もなく、ここでついに雨がポツリポツリと。
国道の排気ガスから解放されます
中央公民館先の信号を右折
なかなか立派な家屋の菓子屋
菓子屋を正面に見つつ左折
良い感じ・・・だけど雨が・・・
落ち着いた街並み


■愚渓寺に寄り道
 ここでちょっと街道を離れて寄り道。
 小学校横を通過して、急坂を登りきったところにあるのが愚渓寺。このお寺は、京都の竜安寺の石庭の前身と言われている「臥竜石庭」を有している。この景色はなかなか良い。オススメ。
 ここで、再び雨が強くなってきたので、軒を借りて雨宿りを兼ねてゆっくりさせてもらうことに。しばらくすると、近くで草刈り作業をしていたおばちゃんがやってきて「私が作業して暑いので、冷たいものですけど、どうぞ」と、お茶を頂いてしまった。旅路における情けは、とても心身にしみます。ありがとうございました。
 30分以上長居した後、お礼を書いたメモを残して寺を後に。
奥に見えるは御嵩富士 臥龍の石庭〜京都竜安寺の前身
軒を借りて雨宿りさせていただきました お茶を頂きました・・・情けが身にしみました。ちゃんと全部頂きました

■名鉄御嵩駅
御嵩駅
【名鉄御嵩駅】
 再び街道に復帰。新しい道と交差する十字路で右折して道を下っていると、左手に大きなお堂が見えてきて、なんだろーなんて思っているうちに、右手に名鉄・御嵩駅。思っていたより広々した駅前空間だと思いつつ、街道は、ここで直角に左折。

■願興寺
 左折してすぐ左手に願興寺。先ほど見えたお堂は、このお寺だった。お寺の横には、観光案内所らしきところやトイレが設置されているので、ここで一息つくのも良いかもしれない。
願興寺お堂 願興寺

平安時代初期の弘仁6年(815)に創建。お堂は大変大きく立派だが、その実結構老朽化が激しい。しかし、お堂横の建物には、24体の国指定重要文化財の仏像が収められ、かつ、お堂の右奥には岐阜県指定重要文化財の鐘楼門など、資源は豊富。境内も含めて、好感が持てました。
願興寺門 鐘楼門

■御獄宿をゆく
 願興寺を後に、川を渡ると、道幅は急に狭くなる。いよいよ御獄宿だ。往時のものはほとんどなく、先ほどの願興寺、本陣跡(復元門)商家竹屋(明治10年(1877)建築)などが宿場町だったことを偲ばせてくれるぐらいだ。
 本陣跡横に建てられている御嵩宿みたけ館(ここがかつての脇本陣跡)にて、御嵩町の歴史を学ぶことが出来る(無料・1階部分は図書館)。また、これまで行ってきた企画展の資料も販売しており、「弥次・喜多の旅 道中記でたどる中山道の旅(400円・双六付で1000円)」「旅行用心集(200円)」の2冊を購入。
 左手に御嵩富士を見つつ、案内碑に従って進むと、道は国道に合流。ここが宿場の東端。ちなみに、かつての宿場名は「御獄」。現在の町名は「御嵩」。読み名はどちらも「みたけ」。
橋を渡ると道幅がグンと狭くなります 御獄宿の街並み 御獄宿の街並み 本陣跡
中山道みたけ館〜1階は図書館 御獄宿の街並み 御獄宿の街並み 左手に御嵩富士を見つつ

■車の長蛇の列の行方は?
花フェスタへ続く車の長蛇の列
【岐阜花フェスタ会場へ続く車の長蛇の列】
 国道に合流すると、先ほどまでの静けさが一転、車の長蛇の列。一気に凹む。ナンバーを見ていると、三重、岐阜、三河、豊橋、尾張小牧、名古屋等々かなり多種多様。ずいぶんバラエティに富んでるなぁ。
 ところが、その車の列は、長岡交差点でみな右折していく。何かと思ったら、伏見宿を抜けたところでも見られた花フェスタへ向かう車だった。すげー人気だ。

 しかし、お陰でそこから先の車の量は激減。

■宿場を抜け、いよいよ峠越えへ
 右手に丸山を見つつ、車の交通量の減った国道をゆく。左手に和泉式部の墓を見つつ、その先で国道を離れて左折するのだが(青い案内碑もある)、その前に国道を直進。コンビニ(サークルK)を発見したので、ここで飲食料を仕入れていくことに。ここから峠越えがはじまるので、日本橋方面に向かう人は、ここで補給を。また、京方面に向かう人は、ここで調達しましょう。
 さて、非常食を確保して、今度こそ裏道へ。井尻の集落を抜けると、まだ水の入っていない棚田の中ののどかな道をゆく。田園風景は、これまでの街道歩きでもたくさん見てきたけど、棚田はほとんど見たことがない。ここにも街道の特色が現れている。
 そういえば、いつの間にか雨もやみ、晴れ間も覗く天気となって、とても気持ちよいぞー。さぁ、山が迫ってきた。いよいよ峠越えだ。
こんもりした山
右手に丸山
和泉式部の墓
和泉式部の墓
案内板があるので迷いませんよ
ここを左折
気持ちよいでー
だんだん山の中に
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2005.6.5update


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